書かせていただく気持ち

ヱスケーが何か書きます

新EP『名残惜しいくらいが別れ時』インタビュー|ネガティブからの脱却

そのうち移行します

▶︎ ヱスケー|note

 

 

インタビュアー
・溜 政和
(旅古書シャンティブックス店主)
https://twitter.com/shantii_books

共通の友人、シロシビンズの紹介で知り合い
それ以来音楽やアニメの話をしに度々訪れては迷惑をかけている

『気持ちをちぎって捨てたくなる』(CD)の販売を委託している

https://www.amazon.co.jp/dp/B07GVSBQW1/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_YN1RVQRJGVPNBV6ACDH9

 

■EP trailer+interview (音声版)
Bandcamp

▶ https://kikuchisk.bandcamp.com/album/trailer-interview-ep

 

『名残惜しいくらいが別れ時』
《¥500/5曲/13分/Bandcamp》

何処にも行かない (Rerecording)
雨宿り feat. Chan diz & メガネ
0じゃない (EPversion)
枯渇 feat. MGM
名残惜しいくらいが別れ時
All produced by ヱスケー

2022年2月27日(日)配信予定⇩
https://kikuchisk.bandcamp.com/

 

 

 

以下書き起こし(加筆修正)

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―ヱスケー君が新しいEPを出すということで今回のインタビューをやろうと思います。
タイトルが『名残惜しいくらいが別れ時』

いつもヱスケー君の作品のタイトルってこういう…

 

こういうタイトルですよね

 

―今回のタイトルに何か意味は込められてる?

 

そのとき気に入っている言葉をタイトルにするんですけど、その時期に作った曲が自然とそのタイトルに合ってくる

Twitterを辞めたり、まあまあ長く乗っていた車を買い替えたりとか、そういうタイミングがあってこのタイトルが浮かんだ。

ダラダラと続けてグダグダになる前にスパッと解散できる人が好き。
EPというサイズもそんなイメージ

で、タイトルはちょっとダサい方がいいなと思っていて…

 

―いつも言うよね

 

格好つけてるような、ダサいような、これならギリいいか…と思えるような
少し恥ずかしさもあるタイトル。それが自分らしいのかなと

ちょっと長めの文章の方が覚えやすいっていうのがあって、英単語1つとかだと誰の音源かわからなくなっちゃうけど、
これは俺のだってわかるじゃないですか

 

―確かに。それは間違いないよね
そもそもこのEPを作り出したのっていつ頃からなの?

 

YouTubeに『何処にも行かない』をあげてから、"できそうだな”と思った。
それまでは「もうできない」って勢いで何も無くなっていったので…

だからこのEPのテーマは”枯渇”
何もない中で何を生み出していくかってことなんですよね。

 

―前に出したアルバムは一昨年の12月31日、
年末ギリギリになって『思い出したように寂しくなる』がリリースされたよね。
そこから新しいものが出ないっていう状況は続いていた

 

それもあってスタジオライブをやったり、
いつもと違うことをした。

今の生活(コロナ禍)に関することは前のアルバムで書き尽くしたからもう書きようがないんですよね。

今まで生活をテーマにしてきたし、
人と会ったり何処かに行ったりとか、そういう刺激が曲になっていたから同じことを繰り返す生活の中で「何を生み出すんだ?」となってしまった。
それもあって停滞していたんですよね

 

 少なくとも2021年の前半は「これからどうしていけばいいのかわからない」という状況が続いていた

 

でも無理して作るのは違うなと
自然に湧き出てきたものがいいなと思っていた。それがなかなか難しい

今までは色々活発だったから曲を作る為のゲージがすぐに溜まったんですけど、
そのゲージを溜める為に色んな物を掻き集めなければならなかった。
それで5ヶ月くらい掛かってるんですよね

 

―今回は5曲のEPで12~13分。
かなりコンパクトに収められてる作品だよね

僕は結構前から聞かせてもらっていて5曲をループしていたんだけど本当にね、
ヱスケー君の作品に見られる「ぬるっと」
5曲が終わって、またループが訪れても違和感がないというか、聴き続けても嫌にならない曲に仕上がっていると思うんだよね。

 

曲について
1曲目『何処にも行かない』

 

―捻り出したように作り出したと思うけど、
1stアルバム、2018年に出した作品の延長線上にある作品だよね

そうですね
状況的に実際に何処にも行けないっていうのと自分自身も何処にも行かない、
居なくならないというのを書きたかった。

 

今まで、最初のアルバムなんかは特に卑屈な面、ネガティブな面が濃かったと思うんです。
そこから変わって行きたいと思っていた。
単純に「前向きな人間っていいな」っていう

前は現実的ではない気がしてポジティブな人間を受け入れられなかった。
最近は素直に「そういう人間っていいよね」って思えるようになってきて

 

―心の変化みたいなものがあるの?

 

変わって行きたいと思っていたのが自然に近付いてきたというか
今までの音源は「わかってくれよ」とか、
共感を求めているところがあったんですけど
それよりも聞いている人がどう思うか、
何を与えられるかを考え始めた。

 

―2018年に1stアルバム出してそれから少しずつ歳も重ねて心境の変化は起こってきているということだよね。

良い方向に変化している感じはする?

 

自分では良いんじゃないかなと思うんですけど、ウジウジしているものとか鬱屈としたものとか、そういうものを好きな人って一定数居るじゃないですか。

でもそういうものばかり作っていると
そういう人ばかり呼び寄せてしまうし、
自分自身もそうなっていく

逆に良い影響、と言えば偉そうだけど、
「自分自身はこうなっていきたい」とか
「こうしていくんだ」
という宣言になってきたんですよね

 

―自分の決意をリスナーに向けている部分はある?

 

今は聞いてくれる人がいるという確信があるので、その人達がどう思うかは考えて作っているかもしれない

 

―少しずつ心境の変化が…

 

単純に歳取って少し大人になってるんでしょうね、最初の頃よりは。

 

2曲目『雨宿り』

 

― KHBのdizさんとメガネさんがフィーチャリングしているよね

この曲に加わって貰おうというのはあった?

 

これに関しては自然と
「そろそろ何かやろうか」という話になり
じゃあビートできたら送るわ~って
で、返ってきたテーマがこういう感じだった

でもやっぱりdizにしろメガネにしろそんなに曲を作る感じではないんですよね。

自分と近いところがあって、曲を量産できるような心境でも状況でもないので集まってやるのもいいんじゃないの?って

 

―dizさんも個性的な声だし、リリックもある意味深いしさ、メガネさんも「おっ」って思うような歌詞があるし良い感じになっているよねこの曲は

 

この人達と曲を作る時は大体1日でできる。ビートを送った数時間後には返ってくるし、
やっぱりやりやすい。

でも他の人とやるときにもこれが基準になってしまうので「やっぱり時間かかるよね~」となる。麻痺してると思う

シロシビンズにしても凄くレスポンスが早いし周りの人が優秀過ぎるんですよね

 

―今後KHBでやる予定はある?

 

タイミングが合うときっていうのがあるんですよね。自然とみんなが作ろうってなってるときに作る

 

ー2人とは距離が離れているよね。
このご時世距離のギャップっていうのはないと言われるけれど、でも実際は距離のギャップってあるじゃない?

生活だったりで合わなくなったりすることもあるけど、
二人とは長くやってるわけだもんね

 

ツイッターをやってた頃、本当にやり始めたくらいからだから10年近くですね。

 

―長いね

 

コロナ前は1年に2,3回くらい会っていたけどここ何年かは会ってないなあ。
でも会ってなくても特に変わりはないですね

 

―2曲目もめちゃくちゃかっこいいよね。すごい聞いたよ

 

3曲目『0じゃない』

 

ーこれはどういう気持ちで作ったの?
0じゃないって何かな?って思った

リリックを見るとヱスケー君の生活の中にいるような、寂しい気持ちだったりとか…
 
あとこれはタイトルにつながると思うけど、0じゃないというのは自分の作品を見てくれているリスナーのことだったり、
そういう人への感謝の気持ちだったりとか、
もっと内にあるようなものが入っているのかなという感じがした。

 

何もないなって思ったけど
そうでもないなって気付いたっていう曲

 

―自分の立ち位置に立ち戻って自分を見てみたら「全然0じゃなかったな」っていう感覚?

 

この生活は何もないし、
曲も全然作れてないし、
大して聞いてもらえてるわけでもないし…
でも0じゃないよなって気付いた。

自暴自棄気味になって
「どうせ俺なんて誰も興味ないんだ…」
とか言う人いるじゃないですか。
大っ嫌いなんですよね

 

―そうなんだ大っ嫌いなんだ笑

 

そういうの格好悪いじゃないですか。
それで一人でも見ている人がいたら
「じゃあ自分は何なの?」と思わせてしまう
その気持ちを無視しちゃいけない。

 

―そうだね。それもまた年齢が上がってきたことで自分の立ち位置を見ることができるようになって…

 

冷静に自分のことを見ると0じゃないなって思ったってことですね

 

―これはヱスケー君がちゃんと「今の自分を見た結果」の曲なんだなと思ったよ

 

4曲目『枯渇』

 

―4曲目なんて思いっきりタイトルに『枯渇』って書いてあるんだけどさ

 

これがテーマですからね。

 

―これが2021年のヱスケーだった?

 

そうですね。

このビートは前のアルバムを作っていたときに既に出来ていて、最初の1,2行だけ書けていたんだけど、それから全く進まなくて

このテーマだとMGMに合うなーと気付いてそこから進んだ。
ちょっと懐かしい王道な感じを作りたくて
サビもわかりやすくした。ベタな感じに

 

確かに懐かしいし、MGMくんのラップも味がある。というか声がめちゃくちゃいいよね

リリックをよく聞くとダサいんだけど、すごいグッとくるようなリリックを書いてるじゃない?

 

なんかポジティブなパワーを持ってるんですよね。だからそういう曲にしたかった

 

―今回僕の中では最初にワッと思った曲
ヱスケー君とMGM君のフィット感も良くて「バッ」と入ってくる曲だったよね

 

この曲でこのテーマならMGMだろって曲ですね。それと掛け合いがやりたくて…

 

―確かに掛け合いだね。ちょっと古典的な

 

これって最新のラップの人だと無理なんですよ。時が止まっているかのようなラップをしているMGMだからいいんですよ

 

―そうだね。
現行のヒップホップには全くない雰囲気みたいなものはあるよね
往年の日本語ラップにはちょっとダサいんじゃないかな?みたいな雰囲気を醸し出す感じがあったと思う

今はそれとは離れてきているけど、でもそういうのがこの曲には残っていて回帰するような気持ちを感じるよね。

現行の曲を聴いている人達もこういうのを立ち戻って聞いて欲しいよね

 

「in the place to bee」っていま誰も言わないですよね

 

―言わない言わない笑
言わないんだけどいいよね。
この5曲の中では目玉になったんじゃないかなと僕の中では思うし、
正にヱスケー君が言ったように今回のEPのテーマ。本当に面白いものになってるよね

 

5曲目はタイトル曲
『名残惜しいくらいが別れ時』

 

―なんで5曲目なの?って思ったのよ。
タイトル曲、これで(ヱスケーの活動が)最後みたいじゃない

 

このEPはこれで終わりだけど、そこに名残惜しさを感じて貰えたら嬉しいなと
最初から締めの曲にしようと思って作った曲です。

歌い出しの「Netflixを見たって退屈」を言いたくて。CMであったじゃないですか「退屈は犯罪です」ってやつ
あれめちゃくちゃムカついたんですよね

そんなものを見たくらいじゃ退屈は埋まらない。これを書き出したときは丁度そのCMがやっていたんです。

 

―本当にトラックもそうだけど、正に終わりに向かうような曲だったよね。

でもまあ最初にNetflixにひとこと言ってやりたかったという…
これはもうリリックを見たらわかるけど、
今の情勢というかそういうものへのヱスケー君の思っていることが書かれてる。

ちょっと排他的な、そんな感じがしない?

 

何書いてましたっけ?笑

 

―1000年後に滅ぶ国に生きてるとか…

あ~書きました

暇過ぎて「今後日本の人口ってどうなっていくんだ?」と思って調べて、
1000年後にはほぼ0になるみたいなのを見て、それが頭に残っていた。

 

―僕の中ではもっと、こう…今の国とかじゃないけど、そういうものを悲観的に捉えてる部分だったりとか、ヱスケー君なりの心境が色濃く出てる感じがした


最後に

 

―結構長くなったと思うけど最後に聞いていこうかな

今回のEP、最後にアルバムが出てから一年とちょっと…いつもより時間がかかっていると思うんだよね。

それこそ枯渇している生活の中でつまらなかったりだとか、なかなか上手く作品作りが進まなかったところもあったと思う。

そんな中で今回EPが久々に出来上がった心境はどうですか? 

 

ようやくできたかという感じ。今のところ次の曲が出来るイメージは全くない!

 

―あれ、そうなんだ笑

 

でも4曲目、枯渇の歌詞でも書いてたけど、「もう無理だな」っていうのを何回も経験してるから、腐らずにやっていたらその内に何かできるだろうなという予感もある。
まあ焦らずにやっていこうかなと

前のアルバムを作っていたときは毎月何曲も作っていたけど、もうそういう状況でもないというか…
自分のペースでやっていった方がいいなって感じですね。無理すると疲れちゃうので


2022年1月30日シャンティブックスにて収録

無名でもTuneCoreからの配信で元を取れるか

YouTubeのチャンネル登録者140くらい
Bandcampのフォロワー90くらい
もう辞めてしまったけどTwitterのフォロワーが560くらいだった
決して知名度が高いとは言えないだろう
 
思うにストリーミングは曲の良し悪し以前に知名度がモノを言う。
勝算は低いがサブスクリプションサービスを利用している人が大半という世の中でそれを無視するのも難しい
 
これまでTokyo Togari Nezumiというレーベルから仲介業者を挟まずに配信していたので450円という安値で提供することができた
 
TuneCoreからの配信となるとアルバム価格は最低760円
今まで450円で提供していたものが310円も値上がりしてしまうことになる。
 
そもそも僕は音楽に金銭的な価値があるとは思っていない
それなのに何故自分の曲を売るかというと、値段が付いていないものはそれだけで価値がないと見做されることがあるからだ。
 
売れなくても生活に困ることはないし「売れなかったな」と思うだけだ。ただ自分の作ったものを売るという楽しさは確実に存在する
 
TuneCoreからアルバムを配信すると1年間で5225円かかる。配信による収益で手数料を相殺したいというのが本音だ
 
赤字や不利益を「心意気」などで乗り切ろうとするのは良くないと思う。
僕はあくまで現実的にどうやったら活動を続けられるかを考える。その点で赤字は無視できない
 
細かいマイナスが積み重なり緩やかに首を絞める。「楽しければ良い」とも思わない。そもそもその状況は楽しくないのだ
 
自分で配信をしてみて思うのだけれど、気付いたら配信から消えている曲は売上が思わしくなくて取り下げざるを得ないんだろうな
実際僕も配信期間の延長はしない
 
だが結果的に元は取れた。(2021年11月までの収益合計)

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ストリーミング再生だけではマイナスになってしまうところだったが、iTunesで数回ダウンロードされたのでなんとかプラスにこぎ着けた。
だが必然的にダウンロード数が多くなる配信1年目だからこそ赤字にならずに済んだだけであって、あくまで短期的な結果ということだ。
 
因みに2回ダウンロードされただけで瞬間的に売上ランキングに入ったのであのランキングは全く当てにならないと思う
 
ストリーミング再生の6割がApple Music、3割がSpotify、残り1割がAmazonとLINE MUSICといったところだ。
 
そもそも再生数はどのようにカウントされているのだろうか?
再生ボタンを押したらなのか、数秒再生されたらなのか、丸々聞き終えたらなのか、それによって意味合いが変わってくる
 
少し逸れるがYouTubeにあげた曲で900再生くらいされているものがあるのだけれど詳細を見ると平均1秒しか再生されていなくてズッコケた。
表面上の数字に意味はないのかもズコーッ
 
熱心にネットで告知、拡散をしても成績の悪い数字が増えて行くだけであまり意味がない。
かえって再生数が少ない曲ほど成績(高評価や再生時間の割合)が良い傾向にあるのは本当に聞きたい人しか聞いていないからなのだろう
 
この結果を受けて今後は積極的にストリーミングに出すのはやめようと思う。
Bandcampだけでも聞いてくれる人がいるとわかったし、不要なリスクを背負いたくない。
 
ただ何らかのキャンペーンで配信料が安くなったりすることがあるのでタイミングが合えば配信する(かもしれない)
 
ともかく2ndアルバム『思い出したように寂しくなる』のサブスク配信は残り2ヶ月ほどで終了する。このアルバムは今後もBandcampで聞けるのでそちらでよろしく
 
サブスク配信は2022年2月2日頃まで

▶︎思い出したように寂しくなる by ヱスケー - TuneCore Japan

因みにレーベルから配信された過去の音源は消えないと思う(たぶん)

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それでは良いお年を ㋽

宅録家はライブをやるべきか

 今回からヱスケー|note に同じ内容で投稿してます。

そっちの方が見られるようなら移行しようかな

 



音楽を作っていると言うと二言目には「ライブやらないの?」と聞かれる
僕は人前が苦手だ
あらゆる“本番”で上手く行った試しがない
人に顔を覚えられることにも恐怖を感じる。
 
現代では古い価値観なのかもしれないが2ちゃんねるからインターネットに入った僕は顔を晒すことのリスクを知っている
それに晒してプラスになる容姿でもないし自分が好きというわけでもない
 
10年ほど曲を作っているがライブに誘われたのは一度だけ。友達の身内のイベントだった
 
周りの人達には次々とライブの誘いが来る中で僕には一切来ないというのは「そういうこと」なんだろうと思い、特にやろうとも思わなかった。
 
しかし今年に入り曲の制作が全く捗らずそれ以外の何かをしようと思ったとき知人の勧めもあってスタジオライブをやるに至った
 
それが案外悪くないと思えた。
映像を編集し制作物として公開することに利点を見出したからだ
 
ただ画面に映る自分を見るのは精神的苦痛を伴うのでシロシビンズの協力がなければ踏み切れなかっただろう(他に誰かがいてくれると和らぐので)
今回はそれの第二弾だ。
 
今までライブをやってこなかった代償として体の動きがわからない
かと言って微動だにせずにやるのも視覚的に退屈なので頑張って動いた。
おじさんの頑張ってるとこ見て…
 
自分で見るとう〜ん…?と思うところもあるのだが、その点について他人が見てどう思うのかはわからない。それらは続けていくことで解消されると考えることにする
みんな手の動きとか練習するんだろうか?
 
普段の制作で一曲数百回録り直しをする僕にとってライブの一発勝負はかなり厳しいものだ。その点スタジオライブは都合が良い
出来るまでやればいいのだから
 
やりたくないことも余裕でこなせる奴になりたいけど苦手なことは無理してやる必要はない。できる限り自分のやりやすい形でやる。
そうじゃなきゃここまで続かない
 
しかし宅録家のライブはカラオケとほぼ同義なのではないか
特に僕の場合サンプラーでインストを流すだけでリアルタイムで音を足したり出来ないし、DJも出来ない。そもそも2つのことを同時に行うことができないのだ
 
果たしてカラオケを人前でやる意味があるのか?これは僕がライブに積極的になれない理由の一つだ
 
そこで僕が足りないと感じるライブ感をパーカッション奏者のシロシビンズに補完してもらっている。彼のおかげでカラオケ感が薄まったように思う。重要な役割だ
 
今回はBandcampでこのスタジオライブの音声を落とせるようにした。インストも付いているのでライブの練習に明け暮れて欲しい
 
このスタジオライブは来年配信予定のEPの告知も兼ねていて、それについてはまた別に書こうと思う。少し疲れた

Twitterを辞めると健康に良い

ようやくワクチンを2回接種したので久しぶりに外に出た

知らないうちに店が出来ていたり、なくなったりしていた。

 

わざわざ人ごみの中に行くこともないが「外に出たら死ぬかも」とか「ウイルスに感染して取り返しのつかないことになる」という不安からようやく解放され泣きそうになった。なにしろ去年の5月からずっと引き篭っていたのだから疲れもする

 

コロナ禍になる直前に買ったオーダーメイドの枕を調整しに行き、その帰りにリサイクルショップに寄った。

特に何も買わなかったけどそれだけで心が満たされていくのを感じる。

こんな贅沢なことしていいのか?とすら思った。

何もない生活には充分すぎる刺激だった

 

先々月くらいに思い立ってTwitterを辞めた

もう書くことがないしネットでじめじめしててもしょうがないし。

特に宣伝しなくてもYouTubeに上げた動画が月に数回再生されれば正直充分なんだよなあ(という曲↓)

もう少し手を加えたくて(demo)としたけどそのままかも。わかんねー

数年前より発声というのか声の表情の可動域が広がったような気がする

もっとこうできたら〜とかはあるけど現段階としてはまあいいんじゃないか

 

ある程度納得のいくものを作れるようになってからは圧倒的なものを目の前にしても絶望しなくなった。これはこれでいいじゃんと思えるようになった

成長したというよりただ単に年を取ったからかも知れない

年配者に「まだ若いんだから〜」などと言われることがあるが実年齢を言うと「意外と行ってんな…」という反応をされる。僕は意外と行ってるのだ

 

先日お世話になっているシャンティブックスの溜さんに「CDが売り切れたので持って来て欲しい」と言われ在庫を追加した。もう三年前になるけど未だに少しずつ売れてるのがありがたい。手元に100枚あった在庫が40枚ほどになった

購入[amazon]▶︎『気持ちをちぎって捨てたくなる』(CD) ¥500

よくわからない業者が5000円とかで売ってるけど(なんで?)シャンティブックスから500円で買えますので。言いたいことが沢山あった時に作ったアルバムだから濃い。

これを作ってからようやく自己の確立が出来た気がする。

曲を作ってみてもどこか人の真似をしているようで気持ちが悪かったけど、このアルバム以降は違う。自分にはこういうのが合っている、自分はこういう人間なんだ。というのがアルバムを作ることによってわかった

 

今回はこんなところで。

Twitterは辞めてしまったので何か連絡あればwebBandcampのcontactなどで〜

(返せないかも知れないけどお気軽に)

あと調子良ければ年内にEP出すかも。それじゃ

 

 

 

 

 

 

ヱスケーは退屈と闘っていた

youtu.be

 

久し振りにK.H.BROTHERSで曲を作った。

2010年に僕と友達でやり始めて一応リーダーということになっている。が実質言い出しっぺなだけなのである

KHBについて▽

本当の自分を隠しながら制作活動を続けるということ - 書かせていただく気持ち

 

基本はそれぞれ別の活動(生活)をしていて常にグループで動いているわけではない

たまに互いに気が向くタイミングがあって、そういうときに集まって何かやる部活のようなものだがこのくらいの関係性が僕たちには丁度良いんだろう。

 

dizとメガネは愛知、僕は北海道に住んでいるのでデータのやり取りのみで曲を作る。

コロナ以前は年に数回会っていたが、会っても曲を作ろうとなることは殆どなく音楽の話もしない。それぞれの家で作ってデータを集めた方が不思議とスムーズに行く

 

未だ終わらない、恐らくもっと酷くなっていくであろう現状で曲を作ろうという衝動が減った。あるのは1曲分に満たない刺激くらいなもので制作を続けることの厳しさを感じる。それなら1曲に満たないものを持ち寄って曲にしようと集まった

 

ビートを送ると大体1日足らずで録音データが返ってくるスピード感はどうかしてると思う。そこから数日かかって録音をして構成を整えた

いつもより少し手の込んだことをした。まあいいんじゃないかと思う

心なしか去年よりクオリティが上がっている気もするし

 

僕はどこかで「このまま人間は滅ぶのでは…」と思っている

だから「どうせ死ぬのだから酒を飲んで騒ごう」みたいな輩の気持ちもわからなくはない(死ぬと思っていないから騒ぐのか)がそれでも何処にも行かない。最後まで慎ましく生きる

 

それにしても退屈で仕方ない。

これに関しては世情関係なく酷くなっていてむしろ今は「コロナのせいで退屈」と言い訳にできるだけまだ良い。仮に収束したとして単に自分の人生が退屈なだけということが露呈したときに耐えられる自信がない。そういう意味で収束するのも怖いと言える

「何をしているときが幸せか」と聞かれてまともに答えられなかったし、幸せなんてこの世にないだろ…と思った。

こういう話になって家庭を持つことを勧められてもしっくりこないし現実的に難しい。

自分の今の生活は生きやすいだけで楽しくはない。これについてしばらく考えることになりそうだ

何処にも行かない

 

まだ寒いし公式グッズを作った 

しかし高いね。5000円以上するとは

 

ヱスケーコーチジャケット / K.H.BROTHERS ( KHBROTHERS )のコーチジャケット通販 ∞ SUZURI(スズリ)

suzuri.jp

 

今年に入って初めての曲ができた

 

去年のGWにも似た内容の曲を作っている

 

去年作った寝汗は今より緊迫感があって「もしかしたら死ぬかも」という気持ちが強かった。1年経ってそれが明らかに薄れている

 

去年出したアルバムでコロナ禍のことは散々書いたのでなるべくそこから離れたかったが変化の少ない毎日なのでかなり難しい。嘘も書けないし

 

「自粛している人たちはこの状況が続く限り出かけないの?冗談でしょ?」といった旨の発言を見てタイトルが決まった。

 

何処にも行かない

 

基本的には人に会わないし街中にも飲食店にも行かない。そもそも外に出ない

そこまで徹底しているわけでもなく甘いところも多々あると思う。

自分の出来る範囲でやっていくしかない

 

この状況になってからは誰がどういう考えで生きているのか見えやすくなったように思う。他人が何をしようとどうでもいいけど関わる人の行動はやはり気になる。

あまりに奔放だと関係を改めざるを得ないのだ

 

やれることが限られているからこそ共有できるものも増えたように思う

アニメを見始めたり、DTMを始めたという人が身近に居て嬉しい

今期はメガロボクス2とスーパーカブが好きだ

 

あと久しぶりに録音して思ったけど自分のラップが難しい

だいたい200テイク録ってようやく形が見えてくる。普通はどのくらいで終わるものなのかわからないけどやればやるほど気付きがあるので仕方ない

今年はかなりスローペースだろうけど死なずに続けていく

 

日常を歌にしている人間が日常を失ったらどうなるのか

僕の曲は日常だ。曲を作ることも日常だし、曲の内容も日常だ

生活の密度がこれまで以上に薄くなり一曲を捻出するだけの心の動きや出来事が圧倒的に足りない。

 

労働をして家に帰り20時には布団に入り土日は一歩も外に出ずアニメやラジオを摂取して過ごす。誰かと連絡を取ることもない。楽しいことは何一つないがそれが普通になった

 

特に変化を望んでいるわけでもないがここまで何もないと感情が生まれない

こういった無の生活を曲にするというのも既にやっているし食傷気味だ。

 

印象的な出来事や言葉によって感情の機微が生まれそれが積み重なってゲージが一定以上貯まると何かが生まれる。そんなイメージなのだが、このゲージが一向に貯まる気配がない

 

特に焦ったりしているわけではないけれどしばらく何も出てこないだろう

それでも何かしたくて珍しいことをした

 

youtu.be

 

youtu.be

 

スタジオライブは『気持ちをちぎって捨てたくなる』をリリースした時に友人のcola_drunkの提案で行ったとき以来 約3年振りらしい

今回はそのときのライブを参考にして行った。

普段から座って録音してるし立つとソワソワしちゃうのでこういう形に

いつも協力してくれるシロシビンズが頼もしい。

彼が居なかったらただのカラオケになっていたと思う

僕がライブを積極的に行わないのは【呼ばれない=そこまでの需要がない】というのが主な理由だが職場にバレる可能性を少しでも減らしたいというのもある。

何がきっかけで全てが失われるかわからないのだ

 

いつもまとまった音源をリリースするたびにシロシビンズとその音源について話すというのをやっていたが今回ふと「スタジオでやったらついでにライブもできるな…」と思い付き珍しくこういう形になった

今回はシロシビンズのアルバム『4』とヱスケーの『思い出したように寂しくなる』についてダラダラと。二人がいつもお世話になっているシャンティブックスの溜さんに来てもらい手の届かないところを解説してもらった

 

最後の最後でパソコンがフリーズして会話が途切れてしまって悔しい

途切れた先で溜さんが良いこと言ってくれてたのになあ