ヱスケーは退屈と闘っていた
久し振りにK.H.BROTHERSで曲を作った。
2010年に僕と友達でやり始めて一応リーダーということになっている。が実質言い出しっぺなだけなのである
KHBについて▽
本当の自分を隠しながら制作活動を続けるということ - 書かせていただく気持ち
基本はそれぞれ別の活動(生活)をしていて常にグループで動いているわけではない
たまに互いに気が向くタイミングがあって、そういうときに集まって何かやる部活のようなものだがこのくらいの関係性が僕たちには丁度良いんだろう。
dizとメガネは愛知、僕は北海道に住んでいるのでデータのやり取りのみで曲を作る。
コロナ以前は年に数回会っていたが、会っても曲を作ろうとなることは殆どなく音楽の話もしない。それぞれの家で作ってデータを集めた方が不思議とスムーズに行く
未だ終わらない、恐らくもっと酷くなっていくであろう現状で曲を作ろうという衝動が減った。あるのは1曲分に満たない刺激くらいなもので制作を続けることの厳しさを感じる。それなら1曲に満たないものを持ち寄って曲にしようと集まった
ビートを送ると大体1日足らずで録音データが返ってくるスピード感はどうかしてると思う。そこから数日かかって録音をして構成を整えた
いつもより少し手の込んだことをした。まあいいんじゃないかと思う
心なしか去年よりクオリティが上がっている気もするし
僕はどこかで「このまま人間は滅ぶのでは…」と思っている
だから「どうせ死ぬのだから酒を飲んで騒ごう」みたいな輩の気持ちもわからなくはない(死ぬと思っていないから騒ぐのか)がそれでも何処にも行かない。最後まで慎ましく生きる
それにしても退屈で仕方ない。
これに関しては世情関係なく酷くなっていてむしろ今は「コロナのせいで退屈」と言い訳にできるだけまだ良い。仮に収束したとして単に自分の人生が退屈なだけということが露呈したときに耐えられる自信がない。そういう意味で収束するのも怖いと言える
「何をしているときが幸せか」と聞かれてまともに答えられなかったし、幸せなんてこの世にないだろ…と思った。
こういう話になって家庭を持つことを勧められてもしっくりこないし現実的に難しい。
自分の今の生活は生きやすいだけで楽しくはない。これについてしばらく考えることになりそうだ