書かせていただく気持ち

ヱスケーが何か書きます

本当の自分を隠しながら制作活動を続けるということ

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曲を作り始めてから10年が経つらしいのでそういう曲を作った

K.H.BROTHERSは俺と地元の友達の二人で始めたグループで自分たちが楽しければいいという勝手な活動をしている
 
この動画でも登場するけれど結成10周年を記念してtamari mikaさんに新しくロゴを作ってもらった。家にいるイメージ。近いうちにTシャツでも作ろうかなと思う

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学生のときにヱスケー活動を始めて30を過ぎた
一緒に曲を作り始めた友達は結婚をして家を買い、子供が小学生になった。
 
何がきっかけですべてが台無しになってしまうのかわからない恐怖が常にある。
制作活動が職場にバレるということは命取りであり最悪、職を失うことになる
そうでなくても家でラップを録音しているおじさんが好奇の目で見られるということが容易に想像できる。忘年会に呼ばれた日には「ラップやれよ笑」と言われてしまうのだ。そんなことがあった日には身を投げる自信がある。
 
就職は制作活動を辞めるタイミングの一つだと思う
既に制作活動が生活の一部になっていた俺は岐路に立たされた時に「辞める」ことではなく「いかに続けるか」を考えた。その為には現実と向き合い自分に何が出来て何が出来ないのかを冷静に見極める必要があった 
 
社会活動と制作活動の住み分けを行うことに決めた
仕事は仕事、制作は制作。それが最も合理的であると考えた
 
だが人生における仕事の割合はあまりに大きく、自分を隠して生きるとなれば本当の自分で居られる時間はとても短い。
 
職場の人間にはヱスケー活動のことを知られたくないが、私生活のほぼ全てを制作に当てている俺からヱスケー活動を取ってしまえば話せることは何も残らない。
 
「これは人に話せる部分だ」と思っても数珠つなぎで自分の活動にたどり着く恐れがあり、職場の人間と何も話せなくなってしまうのだ。
それどころか友人や親と話す際にもヱスケー活動のことしか話せることがなくなっていた。
 
そのことに興味がある人など殆ど居らず、逆に相手の話すことにも興味が湧かなくなってしまい人に会う機会がめっきり減った。それでも辞めるという選択肢はない
作品を作っている時だけが生きている時だと感じるようになっていたからだ
 

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そういう事情もあって人に話せないことを歌う内省的な曲しか作れなくなり、楽しくワイワイ曲を作っていたK.H.BROTHERSはあまり活動しなくなっていった
そんな中でもグループが10年も存続し海外で紹介されたことは快挙と言える
 
 
仕事とは金を稼ぐ手段であって人生の本質は別のところにある。
仕方なくやるものであって進んでやるものではない。
 
しかし「それが全てである」という態度でいなければならないというのがどうにも苦しい。
熱心に働く人を見ると冗談のように感じてしまう。
俺がおかしいのだろうか?
この気持ちを抱えたまま明日からも生きて行く