書かせていただく気持ち

ヱスケーが何か書きます

恋愛も結婚もせずに死ぬ

先月こんな曲を作った。

youtu.be

 

9年ほど前に作った曲を今更録り直した。

 

作った当初から納得がいかずに何度も録音し直しているが今回でようやく落ち着いた。今とは歌詞の書き方が異なっていて昔の歌詞のまま現在の歌い方に変換するのに苦労した。

大物歌手が過去曲を歌うとき原作崩壊とも言えるような歌唱でめちゃくちゃにする気持ちが少しわかった気がする。いつまでも昔のままではいられないのだ

 

僕のなかで恋愛というものは勝手に憧れて勝手に諦めるものであり、相手に何かを求めるものではない。そういった意味を込めてタイトルに「。」を付けた

というか自分のことで精一杯で人と深く関わる余裕がないのだ

 

精神も肉体も金銭もすべて自分でコントロールできる状態でようやく一握りの余裕を捻出しているわけで、そこに不確定な要素が入ることにより身動きが取れなくなってしまう。自分が持てる荷物は人より遥かに少ないと感じる

 

恋愛や結婚に全く憧れがないわけではない、が上手くいく見込みがないことを人を巻き込んでまでやる理由がない。そこまで無責任にはなれないし、これ以上責任を背負うと死んでしまう

 

当時付き合っていた女性が、彼女の「友達の実家」が災害に見舞われ不安定になっていたことがあった。

それを見た僕はどこまでも背負うものが増えていく気がして恐ろしかった

そして何も思わないのに"心配して気遣うフリ"をしていることが気持ち悪くて仕方なかった。みんな何でもないような顔をしてとてつもないものを背負って生きているのではなかろうか。本当にただの人間にそんなことが可能なのだろうか?

 

結婚というものにも異常性を感じる。どうして死ぬまで一人の人間と添い遂げる自信がもてるのだろうか?

他の人を好きになるだろうし、相手の顔面が崩壊したり、四肢断裂したり、精神崩壊したり、脳だけの存在になった時に同じ態度で居られる自信がない。逃げ出してしまうと思う。なぜみんなそんな決断ができるのかわからない。一生わかる気がしない

僕が味わったことのないような確信があるのだろうか?

 

鳥飼茜さんのエッセイで「恋愛というものはごく少数の、それに秀でた人たちだけが本来楽しめる遊び」という一文があった。僕も全く同じことを考えていた

僕は自分にできることを静かにこなして死のうと思う