書かせていただく気持ち

ヱスケーが何か書きます

宅録家はライブをやるべきか

 今回からヱスケー|note に同じ内容で投稿してます。

そっちの方が見られるようなら移行しようかな

 



音楽を作っていると言うと二言目には「ライブやらないの?」と聞かれる
僕は人前が苦手だ
あらゆる“本番”で上手く行った試しがない
人に顔を覚えられることにも恐怖を感じる。
 
現代では古い価値観なのかもしれないが2ちゃんねるからインターネットに入った僕は顔を晒すことのリスクを知っている
それに晒してプラスになる容姿でもないし自分が好きというわけでもない
 
10年ほど曲を作っているがライブに誘われたのは一度だけ。友達の身内のイベントだった
 
周りの人達には次々とライブの誘いが来る中で僕には一切来ないというのは「そういうこと」なんだろうと思い、特にやろうとも思わなかった。
 
しかし今年に入り曲の制作が全く捗らずそれ以外の何かをしようと思ったとき知人の勧めもあってスタジオライブをやるに至った
 
それが案外悪くないと思えた。
映像を編集し制作物として公開することに利点を見出したからだ
 
ただ画面に映る自分を見るのは精神的苦痛を伴うのでシロシビンズの協力がなければ踏み切れなかっただろう(他に誰かがいてくれると和らぐので)
今回はそれの第二弾だ。
 
今までライブをやってこなかった代償として体の動きがわからない
かと言って微動だにせずにやるのも視覚的に退屈なので頑張って動いた。
おじさんの頑張ってるとこ見て…
 
自分で見るとう〜ん…?と思うところもあるのだが、その点について他人が見てどう思うのかはわからない。それらは続けていくことで解消されると考えることにする
みんな手の動きとか練習するんだろうか?
 
普段の制作で一曲数百回録り直しをする僕にとってライブの一発勝負はかなり厳しいものだ。その点スタジオライブは都合が良い
出来るまでやればいいのだから
 
やりたくないことも余裕でこなせる奴になりたいけど苦手なことは無理してやる必要はない。できる限り自分のやりやすい形でやる。
そうじゃなきゃここまで続かない
 
しかし宅録家のライブはカラオケとほぼ同義なのではないか
特に僕の場合サンプラーでインストを流すだけでリアルタイムで音を足したり出来ないし、DJも出来ない。そもそも2つのことを同時に行うことができないのだ
 
果たしてカラオケを人前でやる意味があるのか?これは僕がライブに積極的になれない理由の一つだ
 
そこで僕が足りないと感じるライブ感をパーカッション奏者のシロシビンズに補完してもらっている。彼のおかげでカラオケ感が薄まったように思う。重要な役割だ
 
今回はBandcampでこのスタジオライブの音声を落とせるようにした。インストも付いているのでライブの練習に明け暮れて欲しい
 
このスタジオライブは来年配信予定のEPの告知も兼ねていて、それについてはまた別に書こうと思う。少し疲れた