日常を歌にしている人間が日常を失ったらどうなるのか
僕の曲は日常だ。曲を作ることも日常だし、曲の内容も日常だ
生活の密度がこれまで以上に薄くなり一曲を捻出するだけの心の動きや出来事が圧倒的に足りない。
労働をして家に帰り20時には布団に入り土日は一歩も外に出ずアニメやラジオを摂取して過ごす。誰かと連絡を取ることもない。楽しいことは何一つないがそれが普通になった
特に変化を望んでいるわけでもないがここまで何もないと感情が生まれない
こういった無の生活を曲にするというのも既にやっているし食傷気味だ。
印象的な出来事や言葉によって感情の機微が生まれそれが積み重なってゲージが一定以上貯まると何かが生まれる。そんなイメージなのだが、このゲージが一向に貯まる気配がない
特に焦ったりしているわけではないけれどしばらく何も出てこないだろう
それでも何かしたくて珍しいことをした
スタジオライブは『気持ちをちぎって捨てたくなる』をリリースした時に友人のcola_drunkの提案で行ったとき以来 約3年振りらしい
今回はそのときのライブを参考にして行った。
普段から座って録音してるし立つとソワソワしちゃうのでこういう形に
いつも協力してくれるシロシビンズが頼もしい。
彼が居なかったらただのカラオケになっていたと思う
僕がライブを積極的に行わないのは【呼ばれない=そこまでの需要がない】というのが主な理由だが職場にバレる可能性を少しでも減らしたいというのもある。
何がきっかけで全てが失われるかわからないのだ
いつもまとまった音源をリリースするたびにシロシビンズとその音源について話すというのをやっていたが今回ふと「スタジオでやったらついでにライブもできるな…」と思い付き珍しくこういう形になった
今回はシロシビンズのアルバム『4』とヱスケーの『思い出したように寂しくなる』についてダラダラと。二人がいつもお世話になっているシャンティブックスの溜さんに来てもらい手の届かないところを解説してもらった
最後の最後でパソコンがフリーズして会話が途切れてしまって悔しい
途切れた先で溜さんが良いこと言ってくれてたのになあ